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「命の大切さ」とは

近頃の社会は命を大切にしている社会か?
ふと、そんな疑問が湧き、難しいことだけれども書くことにしました。

17人が死傷した東京・秋葉原の無差別殺傷事件
25歳の派遣社員の男性が無関係の人間を殺した事件。
人を殺したのは悪いこと。
誰でもそんなことは知っている。
殺さざるを得ない要因ー社会のあり方
そして、人間関係の希薄さ。
Etc
「社会」が人を殺させていると言う見方が出来ないだろうか。

防衛省・自衛隊は、アフガニスタン派遣隊員の選考を、し始め、着々と準備をしている。
政府は、海外派遣を恒久法にしようとしている。
自衛隊内部では、隊員の命を軽視する風潮がある。
そんな自衛隊が果たして、海外に行って人の命を大切に出来るのだろうか?
そんな自衛隊が果たして、日本国民の命を大切に出来るのだろうか?

お玉さん。
良いこと書いてます。
ジーンと来ました。

なにが一番大事?の話
お玉な話 | TOP ▲

なにが一番大事?のお話をしようかなあと思います。
一番大事なもの、それは「人の命」です。

いつかは書こう。きっかけがあったら書こう・・
ここを始めた頃から思っていたことがあります。
毎日は書けないかも知れないけれど、しばらく「命」や「死」について書いてみようかなと思います。

この間魂やら運命やらの話を書いたあと、はじめての方から短いメールを頂きました。

「あなたは何故死ぬのが恐くないなんて言うですか?」


お玉は・・今すぐ死ぬのは嫌だけど、もしもどうしても死ななければならないときが来ても・・何となく、暴れないような気がするの・・・・・
それは、さあ、たくさんの友人が死んでいるからそう思うのか・・・・
今は神様を信じているから、だけではないような気がしているけど・・
だって信心深い人が必ずしも死の恐怖を克服しているわけではないもの。

死ぬのが恐くないなんて書くと、生きることを粗雑に扱うようなイメージがあるかもしれない。
でも、それはぜんぜん違う。
今を精一杯「生きる」、必死で「生きる」
そういう気持があるから「恐くなくなる」んだと思うのです・・


 
人は不治の病を宣告されたとき、

ココロに砂時計を持つようになる・・ 
残された時を大事に生きようと誓うために・・ 
そして、その病が再発したときに、

砂はタダの砂ではなく金に変わる・・ 
金の砂時計・・・

その金の砂を持つ人たちと「私」は関わった・・・ 



最近、こんな本を読みました。
子どもと健康の世界地図子どもと健康の世界地図
(2008/01/19)
Eva RehfuessRichard Mackay

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この中で、興味を引いたのはアフリカにある「シエラレオネ」という国
・子どもの死亡率
・料理時の固形燃料の使用
・路上で死亡するこどもたち
・働く子どもたち
・有鉛ガソリンの販売
これらで上位です。

子どもが先に希望を見いだせない状況
日本にも同じ状況はないだろうか?
そんなことを考えると、何だか哀しくなる。

福祉の理念
簡単に言えば、

人としての尊厳、主張を持ち、地域や家族と呼ばれる社会の中で障害の有無や年齢、性別に関わらず、その人らしい最低限の生活が送れる。

これに付随して
憲法25条とノーマライゼーションなどがあると思っています。

かけ声倒れにならいようにするには、
一人一人が「命の大切さ」について考え、行動する必要があると思います。
少なくとも、私は諦めずに闘い続けたいと思っています。

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日本人&もののけ


最近のニュースは、ワーキングプアと呼ばれる若者の増加、老人の孤独死
親殺し子殺し、障害を持った人たちや老人に対する虐待環境(公害)問題
など枚挙にいとまが無いと思えるほどだ。
社会保障、特に年金問題について日本人はいつから言い訳をするようになったの
だろうか。

時の為政者たちは、何も怖いものが無いかのようだ。
そこに住む人たちも諦め状態か・・・

昔、昔、大昔
日本には、もののけと呼ばれる妖怪が住んでいた。
それを、日本人は崇め大切にした。
大切にしなければ災いがあるからだ。
日本に住んでいた妖怪は怖いだけでなく人々に幸福をもたらした。
たとえば、座敷童子
座敷童子は悪戯好きで、夜になると客人のふとんの上にまたがったり枕を返したりするが、見たものには幸運が訪れるといわれる。
それとダイダラボッチとか
日本には数百種類の妖怪がいた。
それも
日本の高度経済成長とともに姿を消していった。

日本社会の今の妖怪は人間だろうと思う。
昔は嘘をついたり言い訳をしたりすれば妖怪がくると言われた。
今は嘘をついても言い訳しても誰も来ないし、社会がそれを容認しているかのように感じる。

次世代には日本の妖怪伝説とか残したいなぁと思っていたら
宮崎駿先生がもののけ姫とかのアニメーションを作ってくれた。
現代の柳田国男と呼べると思う。

もののけ姫の唄を唱っている米良美一さんは、幼少時より先天性骨形成不全症を患い、
骨折の繰り返しで11歳から16歳を病院で過ごした。
この病気のため、身長が伸びず、養護学校で過ごした。
両腕が伸びないため、手を重ねて歌っている。

 はりつめた弓の ふるえる弦(ツル)よ
 月の光りにざわめく おまえの心

 砥(ト)ぎすまされた 刃(ヤイバ)の美しい
 その切っ先によく似た そなたの横顔

 悲しみと怒りに ひそむまことの心を知るは
 森の精 もののけ達だけ
   もののけ達だけ



嘘をついたり言い訳をしたり、親を殺したり子を殺したりする社会が良い社会だろうか?

米国みたく銃で人を殺す社会が良い社会だろうか?

もう一度、自分たちが住む地域を見直す必要があると思うし、住んでいる地域には、どんな
人が住んでいるのだろうかと考える機会が必要だろうと思う。






ヘレン・ケラー&95歳母

毎日新聞に取り上げられていました。
ヘレン・ケラー:8歳のときの家庭教師との写真発見 米国
ヘレン・ケラーが8歳のときに女性家庭教師のアン・サリバンとともに写った写真=AP(米ニューイングランド歴史家系学協会提供) 米ニューイングランド歴史家系学協会(ボストン)は5日、視力、聴力を失い、話すこともできない三重苦の障害を克服したことで知られる社会福祉事業家のヘレン・ケラー(1880~1968年)が8歳のときに女性家庭教師のアン・サリバンとともに写った写真が見つかったと発表した。

ヘレンケラーとサリバン先生


 写真は屋外でいすにすわり、人形を抱いたケラーの側にサリバンが寄り添い、指で手のひらに手話の文字を書いて教えているところとみられる。モノクロだが保存状態がよく、2人の表情などもはっきりわかり、「ヘレン・ケラーの生涯を振り返る上で重要な写真の一つ」(同協会)という。

 写真は1888年7月、マサチューセッツ州ケープコッドで、ケラーと家族が交流のあったスペンサー家の別荘に招待された時に撮られたものという。

 スペンサー家のアルバムに張られたまま忘れられていたが、このほど同家から同協会にアルバムなどの資料が寄贈された際に見つかり、専門家がケラーとサリバンの写真であると確認した。

 ケラーが最初に覚えた手話の単語が「DOLL(人形)」といわれ、ケラーの教育上、人形が重要な役目を果たしたとされる。ケラーが人形と一緒に写った写真としては今回見つかったものが最初期とみられるという。(ニューヨーク共同)

ヘレンケラーと言えば反戦思想、社会主義思想でも有名ですし日本にも来ています。

<参考>
飼行博研究室 Torikai Lab Network
Helen Keller OnLine Studies Japanese




読売新聞には、
東京大空襲で一人娘失う、孤児500人の95歳母が半生記
2008年3月8日(土)14:33

滝乃川学園の石井亮一の妻筆子か
石井筆子


岡山孤児院の石井十次の様な人である。
石井十次



新聞の内容は、

 1945年の東京大空襲で家族を失い、戦後は戦争孤児らの母親代わりとなって福祉施設で働いてきた女性が、その半生を冊子にまとめた。

 500人を超える子供たちから「お母さん」と呼ばれてきた女性は、彼らに寄り添ってきた年月を「自分の娘が『私の代わりに育てて』と言っている気がしたから」と振り返る。冊子「炎の中、娘は背中で…」は、空襲から63年目となる10日に出版される。

 現在、東京・国分寺で妹と暮らす鎌田 十六 ( とむ ) さん(95)の自宅には、夫・茂さんと実母うめさんの遺影があるが、一人娘の早苗さんの写真はない。「生後7か月で、写真を撮る間もなく逝ってしまったから」だ。

 63年前の3月10日未明、空襲で空が赤く染まる中、当時住んでいた浅草区(現台東区)の自宅から逃げ出した十六さんは、娘を背負ったまま隅田川に転落した。刺すような冷たい水に意識が遠のく中、背中だけがわずかに温かかったことを覚えている。

 意識が戻った翌朝、死体の山の間を歩いて避難所にたどり着いた時には、背中の娘も既に冷たくなっていた。お地蔵様のような顔にヤケドの跡が痛々しかった。「私が助かったのは、背中が 濡 ( ぬ ) れなかったから」。十六さんは今も「娘に助けられた」との思いがぬぐえない。一緒に逃げたはずの夫の遺体は1週間後に川底で見つかり、母とは生き別れになったままだ。

 新しい「家族」に巡り合う転機は、1年後の46年3月、上野公園で戦争孤児たちを見たことだった。「娘が引き合わせてくれた」。十六さんは板橋区にあった都養育院で孤児たちと一緒に暮らし始める。同院には戦後、繁華街からトラックで孤児らが次々と連れて来られた。100人近い孤児を2人で世話した時期もある。盗みや脱走を繰り返す子どもを追っては、交番や学校を謝って歩いた。子供たちから「お母さん」と呼ばれるうち、十六さんは笑顔を取り戻していった。添い寝をした子供に朝、「僕の母さんのよう」と言われたのも思い出だ。

 その後、別の児童養護施設の寮母になった。70歳で退職するまで、養育院時代を含めて育てた子供は500人以上にのぼる。結婚式に母親代わりに出席を求め、「母さんの教えを今、子供に伝えています」と近況を手紙にしたためてくる元孤児もいる。

 「普通の人の何百倍も、家族の思い出をもつ私は幸せ」と話す十六さんだが、死んだ家族のことを忘れた日はない。大空襲の日から現在までの道を冊子にまとめたのも、「家族を奪った戦争のことを今の人に忘れてほしくない」からだ。「長生きしちゃった」と笑う十六さん。語り部としての責任をかみしめる。

 冊子は500円。問い合わせは編集元の東京大空襲・戦災資料センター(電話03・5857・5631)へ。






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